家電バーゲン
放射能測定器
避難リュック
本のバーゲン

質問箱のページ


想い出

木村寛さん安らかに

2010年10月30日に逝去されました。


大学1年の秋にW祭で文学部の教室めぐりをしているとき、ハーモニカ・トリオがCaravanなどを演奏しているのを見聞きしました。ハーモニカにマイクのコードが出ていて、とてもカッコいいのです。

大学2年になり、学部の英会話サークルに新入生が入ってくると、みんな英会話がうまいのですね。限界を感じて止めることにしました。で、思い出したのがハーモニカ・ソサエティ。正門を入ったところに各サークルの勧誘机が出ており、おずおずと入部の申し込みをしました。そのとき受付てくれたのが、木村さんでした。そういえば、トリオでコード・ハーモニカを吹いていたのも木村さんでした。

部室を訪れると、指揮を振っているのが木村さんでした。トリオなんかをやるサークルかと思っていたのですが、まったく違っており、オーケストラ形式のハーモニカ・バンドでした。フルート、エレキ・ギター、クラシック・ギター、マリンバ、アコーディオン、ピアノ、パーカッション、ドラムスなどのパートがあり、ハーモニカはシングルIとII、アルト・ホルンIとII、ソプラノ・ホルンがありました。私はシングルIIに所属することになりました。シングルI、IIはトンボのバイオリン・スケールという上下2段指揮のクロマチック・ハーモニカを使っていました。時々、ハーモニカ・ソロがフィーチャーされた曲があり、ボタン式クロマチック・ハーモニカを4年生や3年生が吹いていて、絶対モノにしたいと思いました。

練習曲はb4個の「マンボ No.5」やリズムがシンコペの塊の「真珠の首飾り」、軽快なリズムの「真珠採りのタンゴ」、フラメンコの「マラゲーニャ」、バラード調の「暗い港のブルース」などでした。マンボで、「アー、ウッ」と掛け声を掛けるのは指揮者の木村さんの役割でした。

6月ごろ、待望の270を購入。2,600円だったと思いますが不確か。280が4,100円だったのはよく覚えていますが、高くて手が出ませんでした。うれしくて毎日吹いていました。その年の12月の定期演奏会の第二部で、選抜シングル・パート全員がボタン式クロマチック・ハーモニカを持つグレン・ミラー特集で、幸い選ばれてメンバーとなりました。

翌年8月に演奏旅行があり、名古屋、広島、博多と回りました。その頃、「闘牛士のマンボ」のソロを担当させてもらいました。名古屋では宿泊は20数名全員が木村さんの実家だったか親戚の家だったかにお世話になりました。五右衛門風呂がとても印象に残っています。演奏旅行中のMC(アナウンサー)は後に有名になった故逸見正孝さんでした。

先輩も卒業していきますが、私も4年生の定期演奏会を終えて卒業しました。会社に入って2年目から、木村さん、Iさん、私でトリオを結成し、ハーモニカの裏側にアルミ・テープを貼り、「ハーモニカ・シルバー」というバンド名で、練習しました。シルバーってのは、後で考えると若いのにあまりいい名前ではないなと思いました。発表の場は、もっぱら現役の夏の合宿に押しかけて演奏する位のものでした。

私が入社して3年目で海外長期出張に行くことになりましたので、ハーモニカ・シルバーは自然解散しました。

2年半の長期出張を終えて帰ってくる頃には、木村さんはトリオ「ザ・ノーブランズ」のコード奏者として活躍しておりました。その後、時々お話する機会がありましたが、ノーブランズとしての出演回数が1,000回を超えたとおっしゃっていました。私が所属したトリオ「ハミングバード」が7年間、172回で解散してしまったのと比べると、改めて偉大なトリオだったなと思いました。その後も出演機会はたくさんあったと思うので、何回になったのかお聞きしたかったです。

昨夜は、同期の人達、先輩などがお集まりになり、OBとしてハモソ時代を懐かしく思い起こしております。木村さん、安らかに。

2010年10月3日





©copy right 2010 Shoji Sanada, All rights reserved