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奏者列伝


ラリー・アドラー
Larry Adler
(1914-2001)


写真はCD AJA 5153より
 本名Lawrence Cecil Adler。
 1914年2月10日、米国ウェストバージニア州ボルチモアで生まれた。
 12歳のときビーボディー音楽学校に入るが、成績が思わしくなくたちまち退学。ハーモニカは独学で学んだ。
 13歳のときハーモニカ・コンクールでベートーベンの「ト長調のメヌエット」の独奏で優勝した。
 楽譜が読めなかった彼は、1940年にエルンスト・トッホ(1887-1964、オーストリアの作曲家でアメリカに亡命)について、音楽を一から学び直した。
 ダリュス・ミヨー(仏1892-1974)、R.ヴォーン・ウィリアムズ(英1872-1958)、アーサー・ベンジャミン(豪→英1893-1960)、マルコム・アーノルド(英1921- )、アーサー・バーガー(米1912- )、トッホらがアドラーのために曲を書いている。
 「キング・オブ・ハーモニカ」と称され、ハーモニカをオモチャから楽器に昇格させたといわれる。
 ガーシュインと親交があり、「ラプソディー・イン・ブルー」を演奏したときにガーシュインが、「まるでアドラーのハーモニカのために作曲したようなものだ。」といったという。
 イギリス女性と再婚しイギリスに帰化。2001年8月6日、87歳で没。
 日本には1951年12月、1955年5月、1995年10月(横浜国際ハーモニカ・フェスティバル)に来日。初来日以来、日本では「幻のビブラート」と呼ばれ、刺激を受けてクロマチック・ハーモニカを始めた人が多かったと聞く。
 映画「現金に手を出すな」の主題歌「Le Grisbi」のオリジナルは別人であるがアドラーの演奏でとても有名になり、森本恵夫氏によると、「それからだね、僕らが映画音楽や演奏に呼ばれるようになったのは。」というとおり、日本のハーモニカ史にも多大なる影響を与えている。
 近年、CD「ザ・グローリー・オブ・ガーシュイン」の大成功の後、若いときのLPの復刻版が多数出されたので、たくさん耳にできるようになったが、3度奏法をかなり駆使し、決して綺麗な音ではない。佐藤秀廊氏が古い「口琴芸術」でクロマチックの重音は複音に比べたらまだまだ劣るなどと酷評している鑑賞報告が存在している。また、ハーモネッタという押しボタン式でコードを演奏できるハーモニカがあったが、その発明者Hans Bibusがアドラーの重音の汚さに刺激されて製作したという逸話がある。晩年の演奏ではオクターブ以外の重音はあまり使われていないようだ。
 アドラー自身ユダヤ人であったために、イスラエルの曲を演奏していることも多く、特に「哀愁のエルサレム」でみせるビブラートは、「幻の・・・」といわれたことを十分に納得させる素晴らしい演奏である。
 たくさんのレコード、CDなどが出版されており、リストをWebページで見ることができる。
 アドラーが作曲した「Genevieve」という曲にちなんだステンレス・ボディのクロマチック・ハーモニカがイギリスのハーモニカ・ショップAntony Danneckerから販売されており、ホームページで曲のさわりも聴くことができる。
 アドラーの末娘Marmosetが、アドラーの名を冠した奨学基金設立に動いている。アドラー自身が音楽に関して無学であったことを生前悔いていたために、若い人達を支援するのを目的としているそうだ。基金の寄付金を募っているので、興味のある方はHarp On!のページを見られたい。
クロード・ガーデン
Claude Garden
(1937-2004/12)


写真はELA 621034より
 残念ながら生年月日を書いたジャケットが存在しない。
 フランス生まれで1968年以来永年カナダに在住し、休暇にパナマのセンブラス諸島のクナ・インディアンと共に生活したりするようだ。現在はパリに在住。
 音楽学校で将来の方向を決めるときバイオリンの友人が「君はハーモニカに進むべきだ。」といってくれたと語ったことがある。ラリー・アドラーに影響されたとあるが、彼自身はラリー・アドラーとトゥーツ・シールマンスが師だと語ってくれた。
 彼のハーモニカのためにA.Benjamin、R.V.Williams、V.Robos、D.Milhaudなどの作曲家が作品を書いている。また、現代音楽分野でもMarian Kouzan、Henri Sauguet、Patrice Sciotino、Pierre Max Dubois、Astor Piazzollaなどがハーモニカとオーケストラのための作品を書いている。本人自身もかなりの数の作曲作品をCDに収録している。
 1992年か1993年にポールモーリア楽団と共に初来日し斉藤寿孝氏、真野泰治氏等と親交を温めて以来立て続きに来日している。1994年、2000年には筆者も講習を受けた。1995年横浜国際ハーモニカ・フェスティバル、および2002年厚木アジア太平洋ハーモニカ・フェスティバルのGALAコンサートに出演すると共に、全国各地でコンサートを開いている。
 ガーデンの特徴は、速いフレーズを吹きこなす能力もさることながら、多彩な音色の変化にある。TVで山本直純氏と対談したときなど、フルート、トランペット、オーボエ、・・・の音色を即座に作って吹いて見せていた。実際の演奏においては、それらが嫌見なく曲のフレーズごとにマッチし、長く聞いていても飽きることがない。
 クラシック、ポピュラー、ジャズのそれぞれの分野のCDをたくさんリリースしている。日本ではLP時代には2枚のLPの存在が知られるのみであったが、初来日以降はかなりの数のCDがリリースされている。
 ハーモニカが本当に好きらしく、レストランなんかでバンドが演奏しているとすぐ飛び出して参加してしまうのだとか。フランス人らしくアルコールに強く、ジャズの演奏のときは酔っ払ってステージに上ったのも見かけた。
 色々なハーモニカを試すのも好きで、Super Chromonica 270がメインであったのが1994年にはHeringの3オクターブと4オクターブをたくさん持参し日本に紹介した。筆者も4オクターブを2本買った。その後CX-12に移り、Amadeusも試したようである。3オクターブでは音域が足りないのが不満で、かといって4オクターブが長すぎると思っているらしく、Suzukiと協力しついに2002年に「Magic Garden」という14穴のクロマチック・ハーモニカの市販に漕ぎ着けた。この名前は彼のCDアルバムのタイトルに由来する。
 60歳を超えてしまって、2002年のコンサートでは老眼鏡の世話になる姿が度々見受けられ、自身の解説でも「年をとってしまって」などと発言するようになった。
 演奏家、作曲家として活躍するかたわら、パリの音楽学校(International Conservatory of Music)で講師をしている。
 2004年8月の香港大会でトレモロ奏法のテクニックを教えてもらいました。また、ジャズのガラ・コンサートのリハーサルを見学させてもらいました。ただ、異様に太っておられてどこか具合が悪いのではないかと危惧していました。8月中に来日して東北へ演奏旅行にでかけたようですが、途中で腰を痛めてパリで入院したという話を聞きました。12月9日の朝、パリの病院で67歳で亡くなったとのニュースがフランス・ハーモニカ協会のHPに出されました。
 心からお悔み申し上げます。
エディ・マンソン
Eddy Manson
(1919-1996)

写真は上記ホーム・ページから

 Eddy Lawrence Manson.
 1934年、15歳でハーモニカ・ラスカルズに参加。1945年にはジョニー・オブライエン・ハーモニカ・ハイハッツのメンバーとして米軍キャンプを巡った。また、エド・サリバン・ショーに多数ゲスト出演し、1959年にグループと共にモスクワとレニングラードを訪問した。1959〜 1964年にミッチ・ミラー合唱団でハーモニカの演奏をした。
 映画音楽、TV音楽にも多数出演しており、有名なところでは「史上最大の作戦」がある。また、「ティファニーで朝食を」の”Moon River”はあまりにも有名。映画音楽の作曲、編曲も多数手がけており、有名なところでは「ベン・ケーシー」シリーズがある。ジュリアード音楽学校他で作曲、クラリネット、オーケストラ編曲法などを学んだ。カリフォルニア大学で映画音楽作曲編曲の教鞭をとった。
 1996年7月、77歳で没。

ジェリー・ムラッド
Jerry Murad
(-1996)

Al,Jerry、Don
写真はWeb Site
から
 Jerry Muradian。トルコのコンスタンチノープル生まれ。6歳で米国に渡り、9歳からハーモニカを吹き始めた。高校でハーモニカ・クラブに入りAl Fioreと出会った。またニューヨーク滞在中にハーモニカ・ラスカルズにいたDon Lesと出会った。
 1942年にハーモニカ・ラスカルズに参加したが、1944年にDon Lesと共に退団し、Al Fioreを探してハーモニカ・トリオ、The Harmonicatsを結成した。1947年の"Peg O' My Heart"でベスト・セラーを獲得したが、当時音楽家組合のストライキがあり、ハーモニカ奏者が音楽家と認められなかったという幸運もあったらしい。
 Harmonicatsはハーモニカ・トリオとして最もたくさんのレコード、CDをリリースしており、140万枚以上を売り上げた。そのリストはWeb Siteで見ることができる。メンバーは事情により時々交代しているようで、バス奏者はDon Les、Dannie Wilson(1977から短期だけ)、Dick Gardner(1971〜)が務めた。
 Jerryは、1996年5月11日、米国オハイオ州で没。
 Jerryのレパートリーは数多く、その演奏は巧みであるが、音色はどちらかといえばおだやかなビブラートで素直な感じである。時に第2メロディ奏者として参加することがあったピート・ペダースンが来日したとき、おやこちらの方がより特色があるなと感じた。
 彼らのレパートリーは多くのハーモニカ・トリオが演奏している。日本では、
 ・マラゲーニア
 ・Comedian's Galop
 ・Peg O' My Heart
 ・Perfidia
 ・Twilight Time
 ・Sentimental Journey
 ・Fiddler On The Roof
などがよく演奏される。
リチャード・ヘイマン
Richard Hayman

(1920- )

写真はSMX-7026から
 1920年3月27日、米国マサチューセッツ州ケンブリッジで生まれる。音楽はほとんど独学で習得。ピアノ、アコーディオン、ハーモニカをこなし、後に正式な勉強をしてオーケストラ用の作曲、編曲、指揮を行う。
 ハイスクール時代にハーモニカのグループを率いて活躍。1938年、素晴らしい技量のハーモニカ・コミック・バンドとして有名なハーモニカ・ラスカルズに参加、3年間在籍した。同僚のレオ・ダイアモンドがSolidairesを結成するために独立したときに、Haymanも行動を共にした。
 1940年台に時の人気バンド、ヴォーン・モンローのアレンジャー兼ハーモニカ・ソロイストとして活躍。1953年にキャノンボール・アダレイのアルバム作成の編曲、指揮を務めた。
 1950年にMercuryの専属として独立して弦を加えた大編成のオーケストラ「リチャード・ヘイマン楽団」を編成し、ムード音楽界で活躍。20枚のアルバムをMercuryからリリースしている。1954年から、有名なボストン・ポップス・オーケストラのゲスト指揮者、編曲者として人気を集め、その他米国中でゲスト指揮者として活躍した。
  「リチャード・ヘイマン楽団」という楽団名のLPアルバムには、ハーモニカを主体としたもの、ソロをフィーチャーしたもの、ハーモニカをまったく含まないもの、これらが混じっているものなどがあるので、もしハーモニカを参考にしたいのであれば、よく注意されたい。
 彼のハーモニカの音色は、喉ビブラートを使ったムードたっぷりの独特なもので、映画「Ruby Gentry」の主題歌でミリオン・セラーになった「ルビー」にそれがよく現れている。中々同様の音を出そうとしても出ない素晴らしい音であるが、その音に不満があるとすれば、アーサー・フィドラー指揮、ボストン・ポップス・オーケストラの西部劇特集のアルバムで見せるハーモニカ・ソロで、いわゆる西部劇風 のハーモニカではなくこの甘い響きを聞かされて、あまりのそぐわなさに辟易したことがある。
 もう歳半ば頃だが、お元気なのであろうか。
トミー・モーガン
Tommy Morgan


写真は彼のホーム・ページから
 ハリウッドのレコーディング・ミュージシャンとして活躍。最初のセッションは1950年のアンドリュー・シスターズのもの。500以上の映画の音楽を手がけている。また、TV音楽も数多く手がけている。これらの代表的なものについては、彼のホーム・ページから辿ることができる。主なところでは、God Father III、Back To The Future III、Summer of '42、駅馬車、Free Willy、My Fair Ladyなどがある。ヘンリー・マンシーニ楽団のレコード、CDでは彼の名前をよく目にすることができる。
 来日したこともある。来日時のレコードを聴くと、音作りのわざとらしさが少々耳についた。しかし、数多くの映画音楽を手がけていることもあり、彼の音色は実に洗練され、映画音楽によくマッチした音である。というより彼の音に我々の耳が慣らされてしまっているのかもしれない。
 カリフォルニア大学ロスアンジェルス校の音楽修士号を持っている。作曲、編曲もこなし、ジャズ、ブルースにおける即興演奏にも長けている。
フランツ・クメル
Franz Chmel
(1944- )


写真はCD
Zigeunerweisen
から

 1944226日オーストリアのSt.Poltenで生まれる。6歳から兄と共にハーモニカを始める。8歳でBegan Music Schoolに入学、アコーディオンとギターを修める。12歳で兄弟とともにハーモニカ・トリオ「Piccolo」を結成。1957年オーストリア・チャンピオンを皮切りに数々の国際大会で優勝。
 1965年、突然ハーモニカの活動を中止した。
 1987年より音楽活動を再開、1989年にJames Moodyと面識をもち、「他の惑星からやってきたように吹く。」といわしめた。この頃より舌を使ったビブラートを研究、14時間のレッスンにより独特の演奏スタイルを確立した。非常に速いフレーズの正確無比な演奏、非常に遅い曲における心を振るわせるようなビブラートなどに特徴がある。
 1989年の最初のLPZigeunerweisen」、1994年にCDFantasia Baroque」、2000年にCDClassic Harmonica Vol.1」をリリースしている。Vol.2も準備していると期待される。
 1996年に鉄道会社を退社し、以降クラシック・ハーモニカに専念している。16時間の練習により、週に6本リードを壊し、5本のハーモニカを必要とするとのこと。それ以外の時間は、ハーモニカの修理、他の演奏者、作曲家達との交流に費やしているとのこと。
James Moody以外の作曲家達も彼に注目し
 Walter Breitner...Siciliano madrimombascubiscayano
 Karl Haidmayer...Romaneasca Nr.10 for Harmonica (arranged).
 Friedolin Dallinger... Suite for harmonica und piano
 J. Geworkian........an evening in the mountains
 J. Geworkian.......Concert for Harmonica and piano
などが作曲された。その一部が最新CDに収められている。

ミヒャル・アドラー・グロニッシュ
Michal Adler-Gronish


写真はCD
The Ethnic Adler Trio and Friends
から
 ハーモニカ・トリオ「Adler Trio」のリード・ハーモニカを担当。アドラー・トリオは1962年にDror AdlerDanny Adler兄弟によって設立された。1975年にバス奏者がJacob Kolと交代、1984年に米国のSPAHコンベンションで国際舞台に登場、世界一のハーモニカ・トリオとの評価を受ける。以後、各地の世界大会で出演および審査員を勤める。
 1995
年の横浜世界大会、2001年厚木のプレ大会、2002年厚木アジア太平洋大会に来日した。2001年頃よりリード奏者のDanny Ronenが弁護士活動で多忙になったため、Danny Adlerの娘であるMichal Adler-Gronishと交代、2002年に新編成で来日を果した。
 幼少の頃からハーモニカを吹き始めた
Michalは、アドラー・トリオに参加する以前から著名な音楽家で作曲家である夫のShlomo Gronish氏と共にイスラエル国内外でハーモニカ・ソリストとして活躍していた。アドラー・トリオに参加して後、夫のGronish氏がHarmonicadenceを作曲してトリオに捧げている。Michalはときに舞台でボーカルもこなす。
マリア・ヴォルフスバーガー
Maria Volfsberger
(1975- )

写真はCD
Painted Harmony
から

 1975年オーストリア生まれ。
 6
歳のとき電気オルガンのレッスンにより音楽を開始、12歳でコード・ハーモニカ、後にクロマチック・ハーモニカを習得した。
 1986年にJersey大会にて6重奏団で1位を獲得、1988年オランダのHelmond大会のユース部門でクロマチック・ソロの1位を獲得した。
 1991年のデトロイトにおけるハーモニカ世界大会の成人ソロ・クロマチック・ハーモニカ部門において、16歳でチャンピオンに輝いた。当時、オーストリアのLaakirchen Harmonica合奏団内の6重奏団、およびMAHABRIトリオの一員でもあった。
1993年のトロッシンゲン大会で2度目の世界チャンピオンに輝いた。
 「彼女の演奏は天使のようだ・・・」とパブリック・ハウンド誌に評されている。
 
1998年にギターリストで作曲家でもあるSiegfried Steinkogler氏との2重奏団「Painted Harmony」により、主にハーモニカとギターのための作曲集を集めた同名のCDをリリースしている。収められた作曲者は、Maurice RavelBarna KovatsAnton SteinkoglerSiegfriedの父か?)、Maria Wolfsberger(本人)、Siegfried SteinkoglerSarvador BacarisseScott JoplinJohannes BrahmsStevie WonderTommy Reillyである。この2重奏団は、世界大会で披露され、以後フランス、マレーシア、台湾などから招かれた。
 1999年にはこの2重奏団からハーモニカ・ソロ、ハーモニカとギター、ハーモニカと弦楽器の作曲を集めた意欲的なCDDIE NEUE MUNDHARMONIKA」がリリースされている。作曲者は、Siegfried SteinkoglerWolfgang NiessnerH. Michael TrippoltAnton SteinkoglerBarna KovatsMaria WolfsbergerAlfred Maultaschである。






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